⑧篤姫の夫、徳川家定

13代将軍の徳川家定は、一般的には病弱で愚鈍、将軍として必要な判断力に欠けていたとされていますね。
2008年放映の大河ドラマ「篤姫」では、家定はあえて無能であるように演じていたという設定になっていますが、実際はどうだったんでしょうねぇ。

まぁ、歴史を動かした人ではないですから、あまり研究の対象になっていないのかも知れません。
将軍なのにねぇ・・・でも、どっちでも良いような、良くないような。
だからあんまり研究されていないんでしょうね。

個人的には家定が愚鈍であろうとなかろうと、私の史観は変わらないのですが、愚鈍ではなかった可能性があると言ってる人がいるので紹介しておきます。

井伊直弼 (幕末維新の個性)

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この本なのですが、井伊直弼と家定との関わり合いの中で、家定について書かれた手紙を引き合いに出して筆者が論じています。
あくまでも可能性があると言っているだけですけどね。

直弼が大老に就任した後の事ですが、直弼側近の宇津木六之丞から長野主膳に宛てた手紙の中で、家定は暗君のように言われているが、職掌に怠りはなく、幕府儀礼において役目を十分果たしており、非難するような事は一つもなく、合点がいかない、としながらその後になぜ暗君と言われているかが分かったと宇津木は述べています。

その理由というのは、阿部正弘政権の時代にペリー来航中に12代将軍家慶が死去し、幼君家定が将軍になった為、阿部が将軍に発言されると混乱すると考え、家定への情報をシャットアウトした、という事なんですね。
家定は今起きている諸問題を全く知らされておらず、今日にいたってようやく事の重大さを知った、としています。

また、直弼が大老に就任した時に家定に呼ばれ、直弼がこれからは自分には何でも言って下さいというような事を言ったのですが、それからは家定は色々と自分の意見を述べるようになり、老中達が気が付かないような事も指摘しだしたので、老中達も舌を巻いたとう事だそうです。
直弼は家定を「後賢明にて御仁憐の御方」と評しています。

井伊家は当時将軍継嗣問題で家定の意向を通す(慶喜ではなく慶福を継嗣に)姿勢をとっていましたので、公平な評価ではないかも知れません。
ただ、井伊家の家中での手紙のやりとりで偽装をする必要があるのかな?とも思います。

他の本では、家定が将軍継嗣の問題を聞かれた時に「水戸は嫌い、紀伊は好き」と答えたと記録に残っているとしているんですね。

これはなんだか極端過ぎる気もするのですが、一人の人物の記録だけでも色々な物がありますから、当時の各勢力の置かれた立場なり、周りの状況を把握しないとどっちが信憑性が高いのか判断できませんねぇ。

まぁ、色んな可能性を想像出来るのは楽しいですけどね。

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