③錦の御旗 裏話

「トコトンヤレ節」に登場する錦の御旗ですが、実はこれに関する興味深い裏話があるんです。

【戊辰所用錦旗及軍旗真図】国立公文書館

事の始まりというのは、岩倉具視(国学者の玉松操の提案があったと言われる)が大久保に制作を依頼したところだそうです。

この材料は、薩摩の大久保利通が愛人の「おゆう」に買いに行かせた物なんですが、「大和錦」と紅白の「緞子(どんす)」でこれを鳥羽・伏見の戦いが始まる三ヶ月くらい前に大久保が京都から長州に持ち込んで作らせました。

錦の御旗といえば、幕末以前の歴史上で何度か登場しているのですが、要はこれを使用する事によって味方の士気を高め逆に敵を萎えさせる効果が期待できるスペシャルアイテムみたいな物でしょうか。水戸黄門でいうところの葵の御紋ですね。

もちろん、この時代の志士はこれが過去に使用された歴史は知っていても、「錦の御旗」なんて実物は見たことがありません。
玉松操が書いた図案に基づいて作られたそうです。
誰も見た事のない伝説になりそうな(なってるかもしれない)
そんな物を持ち出すとこが良いですね。

岩倉や大久保なんかは、かなりの合理主義者だった様ですからこれを作って思いっきり皇室の威光を利用すべしと考えたんでしょう。

これを使われてしまった旧幕府軍の最高権力者である徳川慶喜も彼らに負けないくらい合理主義者であった様ですが、勤王で知られる
水戸藩出身でしたし、慶喜の天皇に対する忠誠心が非常に高いのは敵も味方も大いに知るところでした。

個人的には慶喜の勤王姿勢というのは、味方を欺くフェイクだと思うんですけどね。これについては後日詳しく説明しようと思います。

さて、実際の戦場でこの御旗が掲げられると、旧幕府軍はグダグダに浮足立ってしまい、御旗の登場を知った慶喜はさっさと江戸に帰ってしまいます。

これが岩倉や大久保の目論見どおりの効果を発揮したんですね。ちなみに、調子に乗って外国人相手に使っても効果は薄いので要注意ですな。

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